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6-1 資本主義の本質が変わった!

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 環境ビジネスを考えるにあたっては、まずその舞台となる「資本主義」、そして、単純にいえば、資本主義の化体ともいえる「企業」について考えておきたいと思います。
 
20世紀型(非循環型社会)の資本主義は、雑駁にいうと、「大量生産、大量消費、大量廃棄」によって支えられていました。
 企業は、市場に働きかけて自社の商品を徹底的に売り込みます。需要があれば大量生産をして大量消費します。需要のないところにはマーケティングによって需要を作り出し(それまで欲しくなかったものを欲しいと気づかせて)、生産性と利潤の極大化を図ってきました。それが企業の存在目的でした。
 まだ使える製品を数年おきに買い替えさせたり、新しい服や靴やバッグを次々に買わせたり……といった行動へ消費者を駆り立てることで、利益を上げ、発展してきたわけです。
 一番わかりやすいのは、アパレル業界でしょう。毎年、流行を意図的に作り出すことで新しい需要を喚起し、極端にいうと、「古い服を着ていたら恥ずかしい」という状況を作り出しているわけですから、省エネやリサイクルが叫ばれているこの時代に、環境に優しくないことを推奨しているともいえます。
 もっとも、女性の消費者にしてみれば、毎年同じ服を着ろといわれたら面白くないわけですが、私ぐらいの年代になったら、「洋服なんて買わなくてもいい」と本当に思ったら、死ぬまで1着も買わなくて済みます。
 まして、私よりももっと年をとって、もう奥さんもいなくなって一人暮らしをしているような男性なら、ジャージしか着なくなるかもしれません。散歩もジャージ、パジャマもジャージです。
 しかし、それでは企業は困ります。物が売れず、景気も良くなりません。
 そこで、「休日にどこにも出かけず、買い物もしない人々を外に引っ張り出して消費させるためにはどうしたらいいか? 」と考えるのがビジネス(マーケティング)であり、人々に無駄なことをさせて発展するのが資本主義経済だったのです。

持続可能な社会への移行
 ところが、企業活動の前提となる資本主義自体が21世紀になって変わってしまったのではないか? ということを考えてみましょう。
 私も、環境について勉強してこなければそうは思わなかったでしょうが、やはり21世紀はレスター・ブラウン氏がいう「エコ・エコノミー」の時代だといえます。
 そもそもこれほど大量の無駄を出し続けて発展する社会が、永遠に続くわけがありません。21世紀も近づくと、必然的に、「持続可能社会」への移行、そして、「無駄をなくす循環型社会」といったことが、人類の目指すべきキーワードになりました。
 そうなると、資本主義の化体ともいえる企業も変わらざるを得ないわけで、21世紀型の企業は、環境に配慮した経営に真剣に取り組んでいかなければ、生き残っていくことはできません。

企業は環境色に染まれ
21世紀型の企業とは、単に儲けるだけではなく、環境問題に配慮して持続可能な発展ができ
る企業のことを指します。私の友人の税理士・佐藤克治さん流の表現を借りれば、21世紀の企業は「環境色に染まる」ということです。
 企業活動には、設計、製造、販売というサイクルがあります。単純に言うと、資本金があって、資本金をもとにして材料や商品を仕入れ、加工をして、付加価値をつけて、販売をして、儲けたらそのお金を還流してもっと材料を仕入れる──というサイクルです。
 今は、その中に「環境」の要素を入れて、調達は「エコマテリアル」に、設計は「エコデザイン」に……と全てを環境色で染めた企業サイクルにしないといけないのです。
 従来の経営と環境経営の違いを比べるために後者をビジュアル化すると、次の図のようになります(下)。
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 これまでの企業活動は、経営戦略の後にマーケティングがあり、マネジメントがあり、評価(会計)があり、財務がある。つまり、「儲けてなんぼ」です。
 しかし、これからの経営は、財務にも環境が付きますし、環境を無視した経営戦略はとれません。環境マネジメントも必須です。
 例えば、「ISO 14000シリーズ」(国際標準化機構)や「エコアクション21」(環境省)、「エコステージ」(民間規格)などの環境マネジメントシステムを導入し、事業活動によって環境に与える負荷を減らしていくこと──、特にコンプライアンス(法令遵守)違反へのリスクマネジメントを徹底していく必要があります。
 ここの肝は、まずリーダーである社長がこれをどう認識するか、ということです。この認識が低いと、突然、市場から一発でレッドカードをもらうことになります。
 今までの倒産というのは、資金繰りが悪くなって、決済ができなくなって潰れてしまう──というケースがほとんどです。今でもそうですが、今後はそれだけではなくて、CSR 違反ということで会社が消滅するケースも出てくる。
 アメリカでの歴史的な出来事は2001年の「エンロン事件」です。粉飾決算によって会社が潰れました。これはアーサー・アンダーセンというアメリカの大きな会計事務所、ビッグ5の会計事務所もエンロンに加担して会計事務所自体もやっていけなくなって崩壊しました。アメリカ人は、ガバナンス違反、法令遵守には厳しいのです。
 日本の場合では、2002年の「食品偽装事件」でしょう。
 日本人は食品偽装にとても厳しくて、この10年くらいの間にも多くの謝罪会見が記憶にあります。
 話を環境に戻すと、実際に、環境マネジメントを本当にきちんとやっている会社は、ゼロではありませんが、全体の1%ぐらいかもしれません。大企業も「環境部」という部署をつくっていますが、本当のことをいうとまだまだです。実際の環境経営という軸で、それをどのくらい徹底しているかはよくわかりません。

会計が変わる、企業が変わる
 私は公認会計士ですから、会計の視点から見た環境経営について触れておきます。
 会計で見ると、企業の変化がわかりやすくなります。
 なぜなら、企業活動の評価は会計によって行うからです。逆にいうと、会計(数字)という共通の物差しがなければ企業の評価はできません。
 それはスポーツも同じです。単に「イチローはすごい選手だ」というだけでは、よくわからない。「○年連続で200本安打を打った」、「盗塁を○個している」などといえば、その凄さが客観的にわかります。サッカーにしても、「フォワードとして何点取った」とか「1試合平均でグランド内を○㎞も走っている」といった具合に、点数で表すことで他の選手との比較ができるわけです。
 企業も同じです。
 会計の世界には「会計公準」という憲法のようなものがあります。その中に「貨幣評価の原則」があるのですが、それは、「会計はお金で換算してください」、「会計によって企業を評価するなら、お金で評価してください」ということです。
 たしかに、お金でないと価値はわかりません。
 しかし、企業が変わり、その会計に「環境」が入ってくると、話が変わってきます。バランスシートのオフバランス(貸借対照表に計上していない部分)までも含めた、企業の真の評価の洗礼を受けることになります(環境会計)。
 つまり、これまで株主に報告する決算書は、数字だけでよかった。しかし、数字だけでは説明できない時代が来た。環境に対する取り組み(環境汚染)など、数字だけでは説明できない事象というのが山ほど出てきた。だから、報告義務も多様化してくるわけです。
 環境関係では、もちろん貨幣評価もありますが、「CO2を何トン削減した」といった数量表現もあります。ですから、環境の要素が入ってきたことによって、会計の憲法自体が壊れているのです。
 また、会計には「単一性の原則」がありますが、これも企業のまとめる環境報告書の形式、評価方法がバラバラであるために、形式多元、実質多元になってしまった。ですから、単一性の原則もなくなってしまった。資本主義と企業活動が変わることで、会計も大きく変わっているのです。

ステークホルダーは「地球」
 そもそも企業会計とは、利害関係者にきちんと報告をするために、会社で起こっている事情を認識して貨幣価値で測定するものです(※環境会計は、貨幣価値だけではなくて、物流で測定してもいいことになっています)。
 では、報告する相手である利害関係者(=以下、ステークホルダー)とは誰か。
 これまでの企業会計でいえば、一番のステークホルダーは「株主」です。
 なぜなら、株主は一番大きなリスクを負っているからです。債権者の場合は、担保を取ったり、回収することができますが、株主は会社がダメになったら株券は紙くずです。
 「財務諸表論」の1ページ目にも、「会社を取り巻く利害関係者は株主である」と書いてあります。会社のトップは、株主から委任されて企業活動を行い、それでいい点数を取れば(業績をあげれば)、通信簿がいいわけです。以前、ある有名投資グループの代表が、「企業は株主を持ったら、株主に還元するべきだ」とマスコミで主張していましたね。その人のいっていることは正しい。ただし、20世紀までは……の但し書きが付きます。

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21世紀にそんなことを言ったら、会社は成り立ちません。
 環境負荷をかけたり、環境に優しくない企業は、市場から追い出されてしまう。市場から追い出されるというのは、そこの商品を買ってくれないということです。
 「環境」というキーワードで21世紀型の企業を見ると、ステークホルダーは株主だけといえないんですね。多様化しています。
 例えば、古くからある工場の隣の土地が空いていたとします。そこに住宅メーカーが目をつけて、土地を買って分譲しました。すると、工場からちょっと汚染物質が出たとする、あるいは、汚染した地下水が流れてその家の下も汚染されたとします。
 理屈でいうと、「もともと工場があって後から住宅を作ったのだから関係ない」、「あなたが勝手に家を建てた。家を買ったのが悪い」となりそうですが、今はそうはなりません。
 その工場を持っている会社が、隣のおばちゃんまでその会社のステークホルダーとして認めなければいけない。文句が来たら、それに対して償いをしないといけないのです。
 もし工場の汚染によってその住宅地が汚染したとすると、今度はその住宅が売れない。土壌汚染対策法がありますから、浄化しないと売れない。1000万で売る土地が、浄化費用が200万かかったとすると200万目減りする。そういう時代です。
 その住んでいた人は、工場の会社に200万ほど返してくれということになる。だから、企業のステークホルダーは決して株主だけではありません。
21世紀は一言でいうと、ステークホルダーは「地球」なんです。これはちょっと極論かもしれない。しかし、環境情報は、多様なステークホルダーとのコミュニケーションツールであることは間違いありません。

ステークホルダーの多様化が鮮明になった事件
 ステークホルダーの多様化が鮮明になったのは、私は個人的に、2002年のN 社食品偽装事件だと思っています。
20世紀までの企業は、不祥事の際に説明責任が生じるのは株主と被害者に対してだけでした。
ところが、N社のときはきちんと記者会見をして「世間様」に謝ったんですね。「申し訳ございません。悪うございました」と。それで当時の農林水産大臣の武部勤さんが会見で「けしからん」という話をしました。
 しかし、よく考えてみてください。農林水産省は株主ではありません。単なる監督官庁であるだけで、どうして文句を言うのかわからなかった。
 当時、会計の発想からすると、世間には謝りません。ステークホルダーは株主。株主と、ごまかした消費者には謝らなければいけませんが、それ以外の「世間」に対して大々的に謝るということは会計的に考えられなかった。説明責任は株主に対してだけだと思っていたときに、みんなして「世間に謝れ」といった初めての事件なんですね。ここから変わりました。
 しかしながら、人間というのは、過去を振り返ってみると「世の中変わったな」と頭で考えつつも、腹に落ちていないんですね。つまり、本当にはわかっていない人が多い。
 腹の底から「ああ変わったな」とわかるまでに10年はかかります。私も含めて、そのぐらい人間って愚かなんです。あまり賢くない。
 ですから、このときにN 社の対応を見ていて、「こういう事件を起こすとマズイ」、「これからは全方向に謝らなければいけない」いうことが腹落ちしていれば、その後に立て続けに起きた食品偽装事件はなかったし、倒産による犠牲者も出ずに済んだ。
 それは、世の中が変わったにもかかわらず、自分たちが変わらなかったがための犠牲なんですね。今までは大丈夫だったかもしれないけれど、もうダメなんです。そんな例は、そこかしこに見られます。

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