Archive for the ‘第二ステージ 飛躍と混迷の一〇年’ Category

[執念]

 

――窮地で試されるもの
 私が経営者の資質のピンにあげるのが「執念」です。
 私が四〇歳ぐらいの頃、邱永漢先生から聞いた言葉です。
 もう亡くなりましたが、「経営者はなにが大事かって『執念』だね」と聞いたことをなぜか、今でも鮮明に記憶しています。
 私事で恐縮ですが、ここ三年間、経営ノートをまとめています。
 その年々のテーマを決めて書いていますが、二〇一一年のテーマは、「経営者の執念」でした。丁度、リーマンショックの余波が収まったころ、それを乗り切った企業の経営者の共通項は、執念のある人だと思ったからです。あまり年齢も関係なかったなー。むしろ、何回も荒波を潜ってきた年取った経営者の方が、執念がありましたね。ヒルズ族なんて言われて、鍋パーティーで、合コンしていた若い人の方がもろかった?
 危機の時は、ビジネスモデルとか財務危機とか一切関係なし、乗り切れるかどうかこれは、経営者の執念次第ではないでしょうか?
 経営は必ず波があります。今成功している、企業でも危ない時は必ずありました。ですから、経営者は、ガマン強く執念がある人、段々実践で鍛えられますから、強くなります。
 決して逃げないこと、エラそうですが、起業家は、これが一番の資質ではないか、こう思いますね。私も、前述したように、過去に一年間で従業員の半分に、辞められたことがあります。結構当時信頼していた人も辞めましたから、人間はそういうもんだな、自分しか最後は頼りにならないな、とその時つくづく実感しました。
 今振り返って見ますと、やっぱり何とかなったのは私の執念かな、と思います。

[業種が近くても、人間が違うと、ビジネスの成功は難しい]

 

――ソフトウェアメーカーの経営と失敗
カラオケと同時に立ち上げたのは、財務ソフトの開発でした。これは、第二の矢ですかね。LAN上で使用できるソフトのはしりの商品で、当時の財務ソフトとしては、ちょっとした優れたできばえでした。
 「これで、上場できる」などと不遜なことを考えていましたから、正直バカだよね。これも計画がアバウトすぎましたね。ソフトの開発って、とても金がかかります。当時でも、毎月何百万とかかりまして、まず金が持ちませんでした。
 それと、財務会計のソフトですから、本業と近いと思ったのが、浅はかだった。商品は本業と似ていても、人間が違う。ソフト開発の技術者は、会計人とまったく、違う人間でした。宇宙人と会話しているようで、まったく管理ができなかったなー。
 本業と近くても、人間が違うと、ビジネスの成功は難しい。この仕事で学んだ教訓です。

[悩めば、道が開ける]

 

――成長のきっかけ
 同時並行で進んだのが、共同事務所構想でした。優和という組織で、若手(当時)の会計人が集まって何かやろうというものでした。壁にぶつかっていましたから、一も二もなく、参加しました。仕掛け人と企画は確か、京都発でしたかね(京都発というのが、ちょっとシャレてません?(笑))。
 京都の菱田多賀志さん(公認会計士・税理士)が、 小林忠嗣さん(ベンチャー・リンク(株)創業者。当時、日本LCAというコンサルティング会社の社長で、京都が本社でした)を紹介し、小林さんの話に圧倒された記憶があります。その小林さんの呼びかけでした。小林さんの話を聞いて、こんなに頭が良い人はいないと正直思いました。天才っているんだなーと感じましたね。
 又、その時知り合った人たちは、今でも会計業界で活躍しています。業界を代表する人たちが、多く出たのも、この優和の組織でした。当時やる気のある人たちと知り合いましたし、その後飛躍の原動力になった「相続対策」も、夢中で勉強した記憶があります。
 私の第二ステージのきっかけを作ってもらったのは、この組織です。今でも大変感謝しています。

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